市松人形とは、江戸時代中期に女児の遊び道具として作られ始めた着せ替え人形です。
市松人形は、やまと人形の一種で、他には東人形、京人形とも呼ばれることもあります。地方により様々な呼び方があり、関西では「いちまさん」の愛称で親しまれています。三陸地方は「三吉」、そのほか「じんじょこ」「ねんね」「でく」などの呼び方がありますが、「市松( いちまつ 又は いちま)」という呼び名が全国で通じる名となっています。
市松人形には男の子・女の子があり、女の子の市松人形はおかっぱ頭に植毛が施され、男の子の市松人形は羽織袴の正装、頭髪が筆で書かれているのが一般的で、振り袖人形としては日本人形の代表的な人形です。
市松人形の特徴は元来、胴・腰があり、衣装が着せ替えられるところにあります。桐塑・木で出来た頭と手足に胡粉を塗り、おがくずを詰め込んだ胴につなげた人形で、昔の市松人形は着せ替え人形ということで裸の状態で売られており、着物や衣装自作されていました。そのため、市松人形は、裁縫の練習台としても使用されていました。
市松人形の大きさは20cmほどの小さいものから80cm超えるものまであり、40cm前後のものが一般的とされています。
市松人形の名前に由来には諸説あるようですが、江戸時代中期に佐野川市松という歌舞伎役者がおりその美しい若衆姿が女性の間で憧れのまとになり、市松そっくりのお人形が作られるようになったという説が最も有力とされています。また、当時「市松」と言う名前の子供が多かったので、子供の人形と言う意味合いで市松人形と呼ばれたと言う説や、市松模様の衣装を着せて売られていたため、市松人形と名付けられたと言う説、親孝行な市松という名の子供を模したという説などがあります。
現代では市松人形は出産祝の贈り物としても多く利用されています。また、ご両親が嫁ぐ娘に市松人形を持たせる方や、可愛いお子様の成長と幸せを守る人形としても、市松人形は親しまれています。
市松人形の作家としては、松乾斎東光や人形作家で重要無形文化財保持者(人間国宝)の平田郷陽(ひらた ごうよう)などが上げられます。
もともと市松人形は江戸時代の愛玩用として用いられていましたが、現代は観賞用として人形愛好家や骨董収集家などに蒐集されています。