【織部焼】骨董品の買取作家・取扱い一覧

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織部焼

織部焼
織部焼(1605~1624)

織部焼を買取ります

 
桃山時代に現在の岐阜県土岐市付近で始まり、元和年間まで美濃地方で生産された陶器です。
一度衰退した焼物ですが、現在では、発掘された織部焼の研究を行い、独自の作風を追求した陶芸家たちが織部焼の制作を行っており、茶器、食器を中心に作陶に励んでいます。
 
織部焼には織部黒・黒織部、青織部、赤織部、志野織部など釉薬に種類がありますが、緑色の青織部が最も有名で、織部黒・黒織部は茶碗がほとんどで食器類が大半を占めています。
その特徴は歪んだ形をした左右非対称であったり、一度綺麗に形成した後わざと壊して継ぎ合わせたものや、故意にひび割れを起こしたもの、そして扇子などの形をした食器や香炉など具象的な造形を持っている事です。
絵付けも自然をモチーフにした市松模様や幾何学模様など当時としては斬新なものでした。
また、文様は芸術的に描かれておりますが、神社の鳥居文、亀甲文、六芒星、五芒星卍文、籠目、クルス文などが見られ、身命を守る願いを込めて作られたと考えられています。
それは、織部焼を使用するのが戦乱の日々を生き続ける大名たちが使用する茶器だったからです。
そのため、織部焼は当時の最高権力者であった織田信長、豊臣秀吉の管理のもと制作が行われていました。
 
織部焼には戦国武将・古田重然が大きく関係していると言われています。
古田重然は茶人としては古田織部として知られており、千利休が大成させた茶道を継承しつつ大胆かつ自由な気風を好み、茶器製作、建築、庭園作庭などにわたって「織部好み」と呼ばれる一大流行を安土桃山時代にもたらした人物でした。
古田織部は千利休が亡くなってから豊臣秀吉の茶頭に抜擢され、天下第一の茶人と言われる大名となり、茶陶生産を豊臣秀吉から任されました。
こうして、古田織部が好んだ「織部好み」は房式登窯を利用して美濃地方で大量に日常使いの食器として作られるようになりました。
しかし、古田織部が豊臣秀吉の反感を買い、切腹を命ぜられてこの世を去るとあれだけ流行していた織部焼は日本中から姿を消してしまいました。
 
伝世物と呼ばれる織部焼には駄作や失敗作というものは全くといってよいほど流通しておらず、織部焼は本質的に格式ある重要な茶席で使える質の高い作品しか作らず、市場には粗悪品は出さないという、厳密な管理が幾重にもされていたからだとされています。
そのため、近年の調査では当時のごみ捨て場のような所から大量の織部焼が見つかっており、これらは世に出せなかった失敗作の織部焼だったのではないかと研究が進められています。

織部焼年表

準備中

織部焼代表作

『茶碗』

『食器』

『茶器』

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