萩焼を買取ります
萩焼は山口県萩市一帯で焼かれている陶器で「一楽、二萩、三唐津」といわれる程、茶人好みの茶陶を焼いてきた事で知られており「七化け」と呼ばれる、使えば使うほど器の景色が変わるという特徴に人気がありました。
萩焼は毛利輝元の命により朝鮮人陶工の李勺光(山村家、6代目より坂倉と改姓)・李敬(坂家)の兄弟が城下にて御用窯を築いたのが萩焼のルーツだとされているため、当初の作品は高麗焼に似ており形状や手法も同じでした。
また萩焼の中でも坂家の3代までを古萩と呼び、萩焼の特徴の一つでもある大道土が使われておらず釉薬には枇杷色釉や白萩釉が用いられているのも特徴的で、萩焼の黄金時代とされています。
その後、李勺光・李敬の兄弟は別々の流派を作り松本焼の坂・三輪・林と深川焼の坂倉・倉崎・赤川の各3窯が生まれます。
明治時代に入り、藩の後ろ盾がなくなると西洋文化に押され、多くの萩焼の窯元が消滅していく苦境に立たされますが、明治後期に日本文化の再評価が起こると茶の湯がブームとなり、大正時代に入ると深川焼の12代・坂倉新兵衛が表千家に入門し、萩焼と茶の湯の結びつきをアピールする事でブランドイメージを確立しました。
後に保持者を12代・坂倉新兵衛とした萩焼の技術が、選択無形文化財に選ばれ、10代・三輪休雪・11代三輪休雪も重要無形文化財に認定され、国の伝統的工芸品にも指定されています。
このように茶の湯の世界と切っても切り離せない歴史を持つ陶器の一つである萩焼は、素朴で飾り気のない独自の存在感があり、浸透性の高さから手に馴染み、使い込むほどに茶や酒が浸み込み肌に変化が起こる「七化け」「茶慣れ」や桜高台などが特徴的で今も昔も飽きの来ない器としても人気があります。