御所人形とは江戸時代享保(1716‐36)の頃、京都で生まれた美術的な幼児の裸人形です。肌は胡粉塗りのい人形で、大きな頭に小さな目鼻立ちで、丸々と太っているのが特徴です。 1歳~5、6歳までの裸の男の子の白塗りで丸顔の可愛いお人形です。
御所人形は、三等分に構成され、白色胡粉によって独特の表現法が完成されたもので、白菊人形とも呼ばれていました。また、御所人形を商とした伊豆蔵屋の名をとって伊豆蔵人形とも呼ばれていました。その他、江戸時代には大内・頭大(ずだい)・三つ割り・白肉・拝領人形などとも呼ばれていました。
御所人形は、つくねと称する座り姿や、這い這いや立ち姿のもの、ポーズをつけたもの、能装束をまとったものや公家や武家の風俗に仕立てたものなど多様な姿のものがあります。主に、子供が生まれ健やかな成長と身代り的厄祓いのために制作されました。また、招福的な意味合いから、額に紅の水引を結んだ文様をあらわした「水引手」と呼ばれるものや、手に鶴・亀や宝物などを持たせたもの、吉祥文様の衣裳を着せたものなどもあります。
江戸中期に観賞用の人形として大成した御所人形は、朝廷から公家や大名家、門跡寺院などに下賜され、高貴な人々の間で愛されてきました。
御所人形は当初、粘土製でしたが、後に桐の木彫りになり、張子や練物でもつくられたそうです。元来は、室町時代の祓人形の這子(ほうこ)を人形化したものといわれています。また嵯峨人形の一種で「裸嵯峨」と呼ばれる人形の影響が濃いともいわれます。
木彫法により作られた伝統的な御所人形は、素材に桐の木を用い「粗彫り」から「顔描き」にいたるまで、気の遠くなるような工程を経て生み出されます。
御所人形と呼ばれるようになったのは、明治時代以降と言われますが、古い時代の御所人形はいずれも清らかな気品に満ち、まさに日本の人形美の一頂点をなしています。しかしその反面、古品の完成度があまりに高いことや技術的に難しいことなどから、その製法を伝承する御所人形師は現在ほとんどいないと言われています。
御所人形の有名な作家には、伊東久重、島田耕園などがあげられます。伊東久重は、明和4年に後桜町天皇より朝廷御用の御所人形司として「有職御人形司 伊東久重」の名を賜わり、代々その名と技を継承、当代十二世に至ります。寛政2年には、光格天皇より「十六菊花紋印」を拝領し、以来現在に至るまで室のご慶事に用いられる御所人形を制作し続けています。