偕楽園焼を買取ります
紀伊藩主10代徳川治宝が和歌山城下の南西に別邸・西浜御殿を築き、その御殿の庭園・偕楽園で御庭焼を行い、そこで焼かれた焼物を偕楽園焼と呼んでいます。
偕楽園焼には楽焼にはじまり、青磁、染付、色絵、黄釉、交趾、白磁など実に多彩な焼物が作られていました。
主要な資材は京都で調達・搬入が行われており、御用商人・三井高祐の協力のもと行われていました。
偕楽園焼は京都から表千家9代・了々斎、表千家10代・吸江斎、楽旦入、永楽保全など著名な茶人・陶工が招かれ、制作指導にあたっていたとされており、偕楽園焼は陶工以外の人々の作陶が数多く残されています。
そのため、それぞれの陶工の得意とする技法や表現が表れており、楽焼系と磁器系の2種類に大きく分ける事が出来ます。
ただし、磁器系の偕楽園焼はどのような窯で焼かれていたのか分かっていない事も多く、今でも研究は続けられています。
偕楽園焼には無銘のものも多く、銘があるものは「偕楽園製」の二行角印や丸印、「偕楽」一行丸印など様々な種類があり、楽焼系と磁器系で押されている印が異なっているのが特徴です。
また、「偕楽園製」の印銘の他にも参加した京都の陶工たちの印を押したものも多く存在しています。
記録では1818年~1852年までの間に3回の焼成が行われたとされており、その他にも焼成が行われた可能性があったとされています。