楽焼を買取ります
楽焼は安土桃山時代に楽家初代・長次郎によって始まり、ルーツは明(現・中国)の三彩陶だとされています。
また楽焼は千利休、織田信長、豊臣秀吉などが関わった歴史にロマンを感じる事の出来る焼物で、千利休のわび茶の思想や美意識が感じられる事でも知られています。
楽焼は利休や長次郎が生存していた時代は「今焼」と称されており、楽焼という名称ではありませんでした。
楽家は秀吉が建てた聚楽第付近に居を構え、聚楽第の土を使用し、利休の屋敷が聚楽第にあったことを考慮されてか「聚楽焼」と呼ばれるようになった後に「楽焼」「楽茶碗」と呼ばれるようになったと考えられています。
また秀吉に献上した際に「楽」の金印を授かり「楽」を家号にしたことから楽焼と称されるようになったという説もあります。
楽焼はロクロを使用せず、手とヘラのみで成型する「手捏ね(てづくね)」という技法を用いて1100度以下で焼成を行う軟質施釉陶器で茶碗、水指、香炉など茶道具を中心に制作を行っています。
また、釉薬を何度もかける作業を繰り返し、焼成中に釉薬が溶けた頃合いを見計らって窯から出し、急激に冷やすと黒く変色する「黒楽」と、赤土を素焼きし透明の釉薬をかけて約800度で焼成を行う「赤楽」があります。
ちなみに秀吉の好みは「赤楽」だったといわれています。
楽焼の茶碗は「五岳(ごがく)」という口造り、段のある「茶筅摺り(ちゃせんずり)」、飲み終わり後の見栄えが考えられたクボミの「茶溜り(ちゃだまり)」など茶の湯のための特徴があります。
また抹茶を引き立てるために茶碗の色は黒、赤、飴色が主で緑色の茶碗などは抹茶の色を消してしまうという事で楽焼ではあまり作られていません。
現在の楽家は15代まで伝統が受け継がれ、吉左衛門を襲名し、彫刻的ともいえる前衛的な作風を展開しています。
ちなみに楽焼は楽家の本窯と傍流の楽焼を脇窯と区別されています。