須恵器を買取ります
須恵器は日本で古墳時代から平安時代まで生産された青灰色をした硬質な陶質土器で、平安時代では「陶器」と書いて「すえもの」「すえうつわもの」と読んでいました。
現在では「陶器」との混乱を避けるために考古学用語として「須恵器」と呼ばれていますが、20世紀前半までは祝部土器(いわいべどき)と呼ばれる事もありました。
須恵器は同時期の土師器とは色と質で区別する事ができますが、一部に中間的なものがあり区別するのが難しいものがあります。
日本には5世紀頃に朝鮮半島南部から伝わったとされており、初期の須恵器には朝鮮半島のものと区別が付けにくいほど似ているものも存在します。
しかし、須恵器とされているものは日本で制作されたロクロ技術を用いて登り窯で還元炎によって制作された硬質の焼物だけを示します。
ちなみに朝鮮半島のものは陶質土器と呼ばれ、細かく分類すると伽耶土器、新羅土器、百済土器などと呼び分けがされています。
須恵器が日本に登場する前では土器は野焼きで制作されており、低い温度での焼成であったため割れやすく脆かったため、須恵器が登場してからはほとんど制作されなくなりました。
6世紀代では日本列島各地で須恵器を制作する窯が造られ、奈良時代では須恵器の瓦が重宝されていました。
平安時代になると西日本では須恵器の窯の数が減る傾向にありましたが、関東や東北地方などの東日本で新規の窯が増え最盛期を迎えました。
9世紀末には衰退してしまった須恵器は土師器系の土器の登場によって10世紀には完全に制作されなくなってしまいました。