中国骨董は世界四大文明の一つ、黄河文明が興って以来、独特の発展を遂げてきた国、中国。中国骨董は、アジアの美術史の中でも最も大きな範囲を占めているともいえ、中国骨董の範囲は非常に多岐に渡ります。
中国の4,000年以上続いている長い歴史の中では、それぞれの時代を象徴した素晴らしい美術作品の数々が生まれてきました。中国圏の歴史は、先史・夏などの紀元前より始まり、中国骨董も同様に紀元前の青銅器、陶磁器など様々なものがあります。
古代中国美術は先史時代の黄河文化の彩陶や殷・周時代の青銅器に代表されます。秦・漢の時代になると、西方文化の影響や儒教思想を背景に中国独自の美術様式が生れます。平な石材に絵を刻んだ「画像石」はその代表例です。六朝時代に仏教美術が伝わり、石窟美術をはじめ仏像・仏画・諸工芸が盛んとなり、隋・唐時代に最盛期を迎えます。 このように中国美術は夏、漢、唐や宋の古い時代から、清朝期の比較的新しいものまで様々な時代の多様な骨董が存在します。
中国の陶磁器は、新石器時代の紅陶や彩文土器から始まり、さまざまな技術革新を重ね、三彩、白磁、青磁、青花、五彩などの華麗な器を作り出しました。世界の陶磁界をリードしてきた中国の陶磁器は、英語のチャイナ(China)という単語が「磁器」を表していることにも象徴されます。
中国絵画に関しては、欧州などとは異なる技法を用い、独自の道を歩んできました。中国絵画は文字同様筆と墨を主体に構図を書き上げ、彩色を施すというもので、写実性よりも雰囲気を描く事を尊んだもので、六朝時代(222~589)に書や詩、絵画が大いに隆盛を誇り、中国芸術史における一つの頂点が形成されます。代表的な画家に人物画や山水画のスタイルを完成させた顧愷之があげられます。唐代(618~907)には呉道玄や李思訓らが出現し、水墨山水画が成立します。次ぐ宋代(960~1279)には、宮廷画家達により確立された院体画と、士大夫・文人により確立された文人画が隆盛を誇ります。中国絵画は輪郭線、色合い、濃淡などに独自の味わいを湛えながら、侘び寂びの精神や神仙などの思想、宮中の華麗さなどがさり気なく描き分けられ、水墨画など日本にも多大な影響を与えました。
また、中国は木像・石像大国でもあり、日本にも古代から絶大なる影響を与えてきました。秦(紀元前221~206)の始皇帝陵から1974年に大量出土した兵馬俑が有名です。他には4世紀半ば~1000年余りもの歳月をかけて彫り続けられた2400体にも及ぶ仏像がある敦煌の莫高窟があり、中国の仏像に関しては、時代によって技法が異なり、時にはガンダーラ美術の影響が顕著であるなど、シルクロードを通じての西方との交流の歴史を感じさせる要素があるとされています。
また中国骨董では、芸術の世界において西洋とは明らかに異なる分野を確立したものとして「書」があげられます。漢字の源流として殷の時代の甲骨文字がみなされていますが、その後、前漢の頃には篆書、隷書が生み出され、後漢に入ると、蔡倫によって紙が発明されたことにより、楷書・行書・草書が成立します。六朝時代には王義之が出現し書聖と称され、唐代には初唐三大家と呼ばれた王陽詢、褚遂良、顔真卿が出現し、書とともに書画の大家としても知られています。
中国骨董の範囲はその歴史の古さからも多岐に渡りますが、主には上記に上げたような中国絵画、書、書画、陶磁器、仏像のほか、銅器、漆器、玉器、硯、印材、墨、筆、犀角、七宝、象牙、宝石、鼻煙壷、古書類、竹根彫、中国家具、香炉、唐木台などがあげられます。
中国骨董の持ち出しには注意が必要です。2007年より、中国 国家文物局は1911年以前(清代宣統帝・辛亥革命)の中国文物(骨董品)を海外持ち出し禁止としています。それまで中国は1795年(清代乾隆帝)以前の骨董について、海外持ち出しを禁じていました。また、この基準以外に、1949年以前の中国の代表的な作家の作品(絵画や工芸品など)も禁止、少数民族の貴重な文化財産などは1966年以前のものが持ち出し禁止となっています。
詳しくは在中国日本国大使館「中国の文化財の海外持ち出し」に関するご注意等にてご確認ください。
中国骨董の売買・取扱などには注意が必要ですが、近年、貴重な中国骨董の売買が国内外を含めて活発に行われており、その価値は非常に高いものとなっています。