幕末明治期の日本の装剣金工家です。
米商と貸物屋を営む与平の長男として京都十二組大猪熊町に生まれました。
初名を秀信といい、のちに芳之進となります。
13歳で後藤東乗に師事し後年、後藤一乗の門下となり、東乗からは「東」の字を許され「東明」となり、一乗からは「一」の字を貰い「一斎」の工銘を許されるようになります。
作品は鐔、縁頭、目貫などで、ほとんどに「東明」あるいは「一斎東明」と刻んであります。
技術的才能から見れば門人中最高というわけではなかったが、粟穂図を得意とし、東明の独壇場といわれ、「粟穂に於いては吾、遠く及ばず」と師・一乗に言わしめたほどでした。