江戸時代後期に活躍した装剣金工師で、石黒派の祖としても知られています。
幼名は善蔵で、通称周助といいます。
号は東岳子、石黒斎、石黒翁、寿谷斎などがあり、江戸で活躍していた柳川派の加藤直常の門人となり、是常と称していました。
その後、加藤直常の師である柳川直政に師事した事により、加藤直常の「常」と柳川直政の「政」の文字を一文字ずつ賜り、「政常」と名を改めました。
石黒政常は柳川直政から横谷派の金工術を学んでおり、独立すると石黒派を興し、多くの門人たちを育て上げました。
石黒政常は多くの色金を用いた写実的で精巧な作品が多く、日本人であれば誰が見ても美しいと感じる事のできる花鳥風月をモチーフにした作品が多く、多くの人々に受け入れられました。
その中でも鳥は武家の権威と象徴として武士たちに好まれたモチーフであったため、石黒政常の作品には花鳥図も多く残されています。
また、花鳥風月以外にも鯉、魚尽くしなどの魚類や、笹竹、若松、稲穂、洋犬、鼠、鹿、猿、牛、寿老人、源平武者など幅広いモチーフも手掛け、現在でも高く評価されています。
石黒政常の名は3代まで続き、現在でも高く評価されている作品も多く存在しています。