日本刀の中でも特に名刀と称された「天下五剣」のひとつで、
作者は鎌倉時代初期に活躍した粟田口国綱です。
他の天下五剣である童子・切三日月宗近・大典太・数珠丸は
国宝や重要文化財として指定されていますが、
「鬼丸(鬼丸国綱)」は宮内庁所蔵の御物とされているため、
国宝や重要文化財としての指定はされていません。
鬼丸も他の刀剣と同じように逸話や伝説が残されていますが、
その中のひとつである「鬼丸」の由来をご紹介します。
鎌倉幕府の執権であった北条時政は、
いつの頃からか毎晩夢に小鬼が出てくるようになりました。
そして小鬼に苦しめられ、ついに病を患ってしまいました。
闘病中のある夜、老翁が夢の中に現れてこう言いました。
「自分は太刀国綱である。わが身は汚れている。
このままでは汝を救う事が出来ない。」
翌日さっそく国綱の手入れをし、
抜き身の状態で部屋に立てかけておきました。
すると太刀がひとりでに倒れ、
火鉢を支えていた銀の小鬼の首を切り落としました。
以来、小鬼の夢を見ることもなく、病は快方へ向かい
その太刀を「鬼丸」と名付け北条家の家宝としました。
これ以外にも「鬼の腕を切り落とした」などの
数多くの逸話や伝説が残されています。
北条家の家宝となっていた鬼丸でしたが
北条高時が自害してしまうと新田義貞の元へと継承された後、
足利家、徳川家康、豊臣秀吉などの名将軍を経て御物となりました。