源義経を主に書いた軍記物語「義経記」で登場する刀です。
平安時代に活躍し、子狐丸を制作した刀工
「三条宗近」が打った刀と伝えられています。
当初は源義経の為に打った刀ではなく、
三条宗近が祈願のために鞍馬山を訪れた際に
奉納したと言われています。
そして奉納時に僧侶が「今剣」と名付けました。
その後、どういった経緯で源義経の手に入ったのか
正式な経緯は不明とされています。
平家を滅ぼした、壇ノ浦の戦いでも今剣を所持して戦ったとされ
当時では考えがたい戦術や戦略を駆使することが出来たのは
今剣の「保護」作用があったからとも言われています。
壇ノ浦の戦いの後、兄である源頼朝との分裂により争いが起き、
押され気味であった源義経は藤原秀衡の元へ逃げ延びました。
源頼朝の圧力は藤原秀衡が撥ね退け、平穏に暮らしていましたが
藤原秀衡の死後、源頼朝に攻め込まれ合戦となり
数少ない自身の兵が討ち死にし、源義経も今剣で切腹しました。
切腹した刀は「短刀」となっていますが
三条宗近が奉納した刀は「太刀」となっており、
磨上げられたという説と折られたという説が存在しています。
資料が少ないうえ、剣が現存していないことから
謎の多い剣とされています。