1531年に日向国に生まれ、安土桃山時代に活躍した刀工です。
当初は伊東家に仕える藩士(家臣)でしたが、
1577年に伊東家が没落してしまうと、放浪し刀工を続けました。
1590年に下野国(栃木県)の藩主「長尾顕長」の鍛冶として尽力した後、
山城国堀川一条(京都府一条)に定住しました。
その後、堀川派の祖となり
「越後守国儔」「和泉守国貞」「河内守国助」などの
名工を数多く輩出しました。
また、豊臣秀頼からの依頼で高野山金剛峯寺や北野天満宮への
奉納等を作刀したとも伝えられています。
また、堀川国広が打った刀は
新撰組副長の土方歳三が脇差として愛用していました。