鎌倉時代に後鳥羽天皇の命により、
一ヵ月交代で御所に勤番し作刀を行った各地の刀工の総称です。
備前国(岡山県南西部)から26名、山城国(京都府)から7名、
備中国(岡山県西部)から4名、美作国(岡山県北東部)から2名、
大和国(奈良県)・伯耆国(鳥取県)・豊後国(大分県)から1名づつの
約40名の名工が活躍したと言われています。
御番鍛冶になると「高位高官」と「所領」が与えられた為
刀工の地位が高まると、刀工を目指す人々が増加し、
作刀技術が急激に進歩しました。
この時代を「日本刀の黄金時代」と呼んでいます。
後鳥羽天皇が隠岐国(おきのくに)に移ると
北条義時が職を継承しました。