江戸時代末期に活躍した刀工で、「繋太郎」とも称しています。
1823年に上野国那波郡川井村(群馬県佐波郡玉村町)に生まれ、
父である「英一」から作刀技術を学びました。
その後、さらに作刀を学ぶ為に細川正義の門人となり
父・英一の「英」、師・正義の「義」を一字ずつ継承し
名を「英義」に改めました。
英一の死後は家督を継承し、川越藩のお抱え鍛冶となっています。
試し斬りの名手である「山田浅右衛門」に依頼し
作刀した刀の切れ味を確かめるなど、意欲的に活動しました。
また、時代が江戸時代末期ということで武器の需要が多く
薙刀や刀などを約二百振りも打ったと言われています。