大正時代から昭和時代に活躍した刀工です。
1886年に滋賀県下坂本村に生まれ、
本名を「堀井兼吉」と称しています。
幼少時代から日本刀に興味があり、
1904年に「井雄胤明」の門人となりました。
作刀技術を学ぶ姿を井雄胤明に評価され、
井雄胤明の娘と結婚し、女婿となりました。
井雄胤明の死後は堀井一門の三代目を継承し
優れた技術と人格により、一門は大いに繁栄しました。
1913年には刀剣保存会から、水心子正秀の
「秀」の一字を授けられ「秀明」と名を改めましたが、
1933年に皇太子が誕生し、「明仁親王」と名付けられると
「明」の字を用いることは憚り多いことと考え、
「俊秀」と名を改めています。
その後、刀工にとって最高の名誉である「元帥刀十振」を拝命すると
皇室関連の作刀を積極的に行いました。
日本刀展覧会では総理大臣賞や陸軍賞などの輝かし功績を残し、
1943年に57歳で逝去しました。
刀工としてはもちろん、穏やかな性格であった事から
ひとりの人間としても各界から尊敬されています。