柳生家のお抱え刀工であった「秦光代」が打った刀です。
「風鎮切光代」という名の由来には伝説が残されています。
柳生厳包は自身の理想の脇差を秦光代に打たせていました。
六度目の打ち直しを行った際に、
実際に斬らなければわからないということで
掛軸の軸先につける錘(風鎮)を四つかさねて打ちました。
すると、風鎮は見事に四つに割れ、
柳生厳包はこの脇差の出来を認めました。
この出来事から「風鎮切光代」と呼ばれるようになりました。
その後、寝込みを刺客に襲われてしまった柳生厳包は
風鎮切光代を取り出し、片手打ちで刺客を斬り倒したそうです。
以後、柳生厳包は「鬼の庖丁」と名付け愛刀としました。