江戸時代に活躍した装剣金工一派です。
祖は堀江興成で、堀江興成は濱野派の濵野政随の門人として奈良派の彫金技術を学び、「益随」と名乗るようになりました。
ちなみに濱野政随は奈良派の金工で、独立して濱野派を起こした人物です。
その後、濱野政随がこの世を去り、大森英秀に師事して一字をもらい「英俊」と名を改めました。
その後独立して「興成」と改め、堀江派を起こすと阿波国(現・徳島県)の蜂須賀家のお抱え工として活躍を見せました。
堀江派に関する詳しい資料が残されていないため、まだまだ不明な点も多いのですが、祖である堀江興成は銘を「堀江興成(花押)」と独特の草書体で切っており、多くの作品を残しました。
その中でも『新古今和歌集』の撰者として知られる藤原定家自選全歌集『拾遺愚草』の中巻に収められている『詠花鳥和歌各十二首』を題材とした作品が存在します。
それが『花鳥十二ヶ月揃小柄』で、平安王朝美への強い憧れと雅なる空間の再現が成されている名品として高く評価されています。