【加納夏雄】日本刀・甲冑・武具の買取作家・取扱い一覧

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加納夏雄

加納夏雄
加納夏雄(1828~1898)
幕末明治期の日本の彫金家です。
明治金工界の巨匠といわれています。
幼名は治三郎といい、後に寿朗と改名し、独立した際に夏雄と名乗るようになりました。

米穀商伏見屋治助の子として京都柳馬場御池通りで生まれ、7歳の時に刀剣商加納治助の養子となります。

はじめは奥村庄八に彫金技術の手ほどきを受けていましたが、大月派の金工師池田孝寿門下となります。
その後、独立し京都で開業します。

また、金工師として下地ともいえる絵画を円山派の中島来章に、漢学を谷森種松に学び、後年の制作活動の基になりました。

江戸に出ると刀装具の制作をするようになり、宮内省より明治天皇の御刀金具の彫刻を命ぜられるようになり、刀装具製作ではかなりの名声を確立するようになります。

明治以降はその技法を買われて新政府の新貨条例に伴って大阪造幣寮に出仕し、新貨幣の原型製作に従事するようになります。
その傍らで刀装を続けたが1876年の廃刀令によって続ける事ができなくなりました。

再び東京に出るとその彫金技術を花瓶、銅版額、置物などに施して美術品として内外の博覧会などに出品・受賞を重ね、帝室室議員を拝命します。

その後、東京美術学校(現・東京藝術大学)の教授をつとめ、後進の育成に尽力しました。

加納夏雄年表

1828年 京都柳馬場御池通りで生まれる
1834年 刀剣商加納治助の養子となる
1840年 大月派の金工師池田孝寿門下となり寿朗と改名
1846年 独立して京都で開業し夏雄を名乗る
1854年 江戸に移り明治の初めまで刀装具の制作
1869年 宮内省より明治天皇の御刀金具の彫刻を命ぜられる
1871年 新政府の新貨条例に伴って大阪造幣寮に出仕し新貨幣の原型製作に従事
1876年 廃刀令により刀装具制作を断念
          花瓶、置物、煙草盆などの生活用具を制作した。
1881年 第2回内国勧業博覧会の審査官
1894年 東京美術学校(東京芸大)教授、第1回帝室技芸員になる
1898年 69歳で死去

加納夏雄代表作

『鯉魚図額』
『百鶴図花瓶』
『大黒天』
『紫陽花ニ筍片切彫手板』
『若松ニ蕪片切彫手板』
『雷紋手板』
『曲線手板』

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