現・京都府出身の安土桃山時代末期~江戸時代初期に活躍した装剣金工です。
後藤四郎兵衛家(後藤本家)の6代目を襲名しており、祖父や父よりも早くに亡くなっているため、在銘の作品が少なく、遺作の多くは後代の極めによるものが多いのが特徴です。
作品の数自体も少ないので、中古市場でも希少価値の高い装剣金工として知られています。
後藤四郎兵衛家は室町時代~江戸時代にかけて御用達の彫金を家職としてきた一門で、室町幕府第8代将軍・足利義政に仕えた後藤祐乗を祖としています。
後藤栄乗は、後藤四郎兵衛家の5代目である後藤徳乗を父に持ち、共に豊臣秀吉に仕えていましたが、父・徳乗が関ヶ原の合戦において石田光成方につき、大阪の役においても豊臣方についた事から、後藤四郎兵衛家は後藤一門の本家でありながら蟄居の生活を送る事になりました。
そんな中、父・徳乗の弟で後藤栄乗からは叔父にあたる後藤長乗の労により、父・徳乗と共に徳川幕府に許され、2代将軍・秀忠から分銅大判改役・彫物役を任されました。
その後、後藤栄乗は二男四女の子を儲けましたが、長男は若くして亡くなっており、後に8代目として次男・即乗が家督を継ぎました。
ちなみに7代目は後藤栄乗の実弟・顕乗が継いでいます。