現・京都府出身の江戸時代に活躍した装剣金工です。
後藤四郎兵衛家(後藤本家)の7代目を襲名しており、即乗に8代目を譲ると、従兄弟の覚乗とともに加賀後藤家の礎を築き上げた事で知られています。
5代・後藤徳乗の次男として生まれた後藤顕乗は、名は「正継」と称し、通称「富三郎」と呼ばれていました。
家督を兄の栄乗が継いだため、自身は別家の後藤理兵衛家を創始しました。
しかし、栄乗が40歳という若さでこの世を去ってしまい、その嫡男である即乗はまだ若かった事から、一時的に後藤四郎兵衛家の7代目を襲名する事になります。
その後、即乗が十分に育った事をきっかけに後藤四郎兵衛家8代を譲り、加賀国(現・石川県)の金沢藩に招かれ、加賀後藤家を創始しました。
後藤顕乗が7代目を継いだ後藤四郎兵衛家は、室町時代~江戸時代にかけて御用達の彫金を家職としてきた一門で、室町幕府第8代将軍・足利義政に仕えた後藤祐乗を祖としています。
5代・徳乗の時代から分家が起こるようになり、分家の後藤家を「脇後藤」と呼んでいます。
後藤顕乗は後藤本家でありながらも、脇後藤の当主をつとめた人物として後藤家の中でも特殊な人物とされています。