江戸出身の江戸時代前期~中期に活躍した日本の装剣金工です。
後藤四郎兵衛家(後藤本家)11代目を襲名しており、後藤家伝統の作風に絵画的な表現を取り入れた事で知られています。
また、非常にまじめな性格であったと伝えられており、それは作品にも大きく表れています。
後藤家は室町時代~江戸時代にかけて御用達の彫金を家職としてきた一門で、足利、織田、豊臣、徳川の各将軍家の御用をつとめ、刀装具などの彫金作品を手掛けてきました。
その中でも後藤本家は室町幕府第8代将軍・足利義政に仕えた後藤祐乗を祖とし、5代・徳乗のとき四郎兵衛(しろべえ)と称して以来、当主は通称として四郎兵衛を名乗るようになりました。
その11代目を襲名している後藤通乗ですが、実は10代・廉乗の養子です。
分家である後藤太郎右衛門家の仙乗光晴の三男として生まれており、後藤本家7代・顕乗の孫にあたります。
10代・廉乗の実子である光嘉が早くにこの世を去ったため、10代・廉乗の娘と結婚し、家督を継ぐ事になりました。
後藤通乗は絵画風の図案である町彫りに対する意思が強く、後藤本家の正当な血筋ではないという事もあってか、後藤家の掟にとらわれず、自由な作風を生み出しました。
その作品は丁寧な作品が多く、時代に合った華やかな元禄時代の様式を表しています。