江戸出身の江戸時代中期に活躍した日本の装剣金工です。
後藤四郎兵衛家(後藤本家)の12代目を襲名していますが、良工であった11代・通乗と13代・延乗に挟まれているため、存在があまり目立っていません。
享保大判の墨書きを行っていますが、享保大判の現存数は万延大判についで多く、初期にあたる後藤寿乗の墨書きは大変希少とされています。
ちなみにこの享保大判の墨書きは後藤家最後の当主である17代まで続きました。
後藤家は室町時代~江戸時代にかけて御用達の彫金を家職としてきた一門で、足利、織田、豊臣、徳川の各将軍家の御用をつとめ、刀装具などの彫金作品を制作してきた家系です。
江戸時代になると大判座、分銅座を主宰して特権的職人の地位を占める存在として知られています。
また、刀装具小道具のもっとも有名で権威ある家柄としても知られており、作品は小柄、笄、目貫の3種を同一人物、同一意匠で揃えた三所物(みところもの)を制作していました。
素材の地金は赤銅を用いており、まれに四分一(銀と銅の合金)が使われています。
これは後藤家が鉄を使う事を禁止していたためで、まれに鉄を使用して作品を制作している当主も存在します。
その際は後藤家当主の名である「四郎兵衛」や「○乗」として銘を切っておらず、元々の名が使われている事がほとんどです。