江戸時代初期から中期に肥前国(佐賀県)で活躍した刀工です。
忠吉派の初代である「肥前忠吉」の孫で、
事実上の二代目である「近江大掾忠広」の子です。
幼少時代に近江大掾忠広に作刀を学び、
初代や二代目を上回るほどの技量を開花させ、
「三代目忠吉」を継承しました。
1660年には「陸奥大掾」を、翌年には「陸奥守」を受領しています。
近江大掾忠広の代作を多く作刀した事、
江戸時代中期の戦争があまり無い平和な時代であった事、
そして50歳という若さで死去した事が関係し
在銘の作刀数が非常に少ない名工です。
さらに優品しか現存していないことから
忠吉派の中でも格別な人気を誇り、当時から幻の名刀と称されています。