江戸時代に活躍した刀工一派です。
大和国(奈良県)で活躍した「手掻派」の末裔と言われている
「重国」を初代とし、江戸時代末期までに十一代続きました。
「初代重国」の本国は大和国ですが、
徳川家康に召され、紀州徳川家の「徳川頼宣」に従い
紀伊国(和歌山県)紀州へ移住し、お抱え鍛冶として活躍しました。
「四代目重国」は、歴代の南紀重国の中で最も有名です。
四代目が活躍した江戸時代中期は、大きな戦争が無い平和な時代で
刀の需要が少なく、刀工不遇の時代と言われていました。
これを憂いた八代将軍「徳川吉宗」は
武芸奨励策として全国の優秀な刀工の名簿を制作し
中でも優れた技術を持つ刀工を江戸へ招きました。
四代目重国は優秀な刀工として選ばれ、
浜御殿で開催された作刀競技に参加しました。
そして一平安代、主水正正清、信国重包らと共に名人に選ばれ
「葵一葉」を茎に刻むことを許されました。
その後は本国に帰国し、歴代の南紀重国と同様に
紀州徳川家のお抱え鍛冶として活躍しました。