安土桃山時代から江戸時代に活躍した刀工で、信国派の十二代目です。
別名「信国助左衛門吉貞」とも言います。
信国を祖とする「信国派」は、三代目から十一代目まで
豊前国(大分県)宇佐郡の「安心院吉門」のお抱え鍛冶として
活動を続けていましたが、1582年安心院氏が滅ぼされてしまいました。
浪人となってしまった吉貞は、1592年文禄の役で
豊前国の藩主であった「黒田長政」に従軍し、
「袋槍」という、柄の交換が簡単で強度がある槍を開発しました。
1600年の国替えにより藩主が「細川忠興」に変わりましたが
「黒田長政に仕える」という約束の下、筑前国(福岡県)へ移住し
黒田長政のお抱え鍛冶として活動を開始しました。
豊前国から筑前国に移り、作刀を行ったことから
以後の信国派を「筑前信国派」と呼んでいます。
その後、吉貞の二男である「吉次」が筑前信国派を継承しました。