1592年に陸奥国宮城群国分若林(宮城県仙台市)に生まれ
江戸時代に活躍した刀工です。
仙台城下で伊達政宗のお抱え鍛冶として活動し
1614年に伊達政宗の命により上京し
山城国(京都府)の三品派の刀工「越中守正俊」の門人となりました。
そこで刀工としての技術を学び、5年後に陸奥国に帰国しました。
そして、1626年に「山城大掾」を受領した後
10年後に入道し「用恵」と名乗るようになりました。
当時他に類を見ない古典的な作風で一世を風靡し、
「国包」という名は明治時代に至るまで十四代まで継承されました。