戦国時代に活躍した武将である三好宗三が
武田信虎に贈ったとされる刀です。
武田信虎は今川氏との和解を証明するものとして
娘を嫁がせていますが、その時に「宗三左文字」を
一緒に持たせたといわれています。
以後は今川義元の愛刀とされていましたが
桶狭間の戦いで織田信長が今川義元を打ち取った
戦利品として持ち帰りました。
織田信長はその刀に刻印を残し、
自身の愛刀としていたと言われています。
その後の宗三左文字の行方には諸説あります。
その1
織田信長の家臣である明智光秀が起こした
「本能寺の変」の時に宗三左文字も焼失してしまい、
豊臣秀吉が探しだし、打ちなおさせたという説。
その2
本能寺の変の後に豊臣秀吉が継承し、
豊臣秀吉の死後に三男である豊臣秀頼が遺品として継承した後、
徳川家康に献上しました。
以後は徳川家が代々伝承していましたが、
天明の大火で焼失してしまい、再び打ちなおされたという説。
それぞれ「火災により焼失し、打ちなおされた」
という事は共通しています。
現在は重要文化財に指定され、
織田信長を讃えるために明治天皇陛下が創建した
「建勲神社」に所蔵されています。