左文字派の刀工が打った短刀です。
「小夜左文字」にも他の刀と同じように伝説や逸話が残されています。
安土桃山時代、現在の静岡県にある日坂で、とある浪人夫婦が暮らしていました。
夫が病で若くして死去してしまうと、幼い子供を抱えていた妻は夫が秘蔵していた刀を生活資金にしようと金谷の宿へ出掛けます。
しかし、小夜中山峠の頂上付近まできた所で何者かに襲われ殺害されたうえ、刀まで奪われてしまいました。
残された子供は母の仇を討つため、研師の近くに居れば刀に出会えると考え、掛川の研師に弟子入りします。
長い年月が経ったある日、浪人が刀の研ぎを頼みに来ました。
弟子入りした子供はその浪人が持つ刀が、母の所持していた刀だと確認すると逸る気持ちを抑え、入手経緯を浪人から聞き出しました。
そして、この浪人が母を殺害した本人だと確信するとこの刀で腹を突き、仇討ちを成功することが出来ました。
この話を聞いた領主である山内一豊は母への忠実心を褒め、自身の家臣とすると同時にその刀も上納させ秘蔵としました。
その後、細川藤孝幽斎の懇望により、刀は山内一豊から細川家の所蔵となります。
戦国随一の教養人であった細川藤孝幽斎は小夜中山峠での出来事と西行法師の歌をかけて、刀を「小夜左文字」と名付けました。
その後も細川家に伝来されていましたが、細川忠興三斎の時代に大飢餓に見舞われ、小夜左文字を売って領民を助けました。
以後は数々の名家に所蔵され、個人の所蔵となり、現在は重要文化財に指定されています。