江戸時代初期に活躍した刀工で、波平派の五十六代目です。
波平派は大和国(奈良県)から薩摩国(鹿児島県)谷山郡に移住した
「正国」を祖としていますが、現存する作刀が確認されていない為、
正国の子と伝えられる「行安」が事実上の祖と言われています。
歴代の波平派は「大和伝」の作風でしたが、
安行は薩摩藩主「島津家久」の命により
伊豆守正房の門下となり「相州伝」も学んでいます。
1665年に「大和大掾」を受領した後に「大和守」を授かると、
「大和守安行」と銘を切るようになりました。
安行には四人の子がいますが、
長男の安休が祖父の安国を継承し「坂ノ上波平」となり、
二男の安正は分家して谷山群の堀に移住し「堀の波平」となった為
四男の「安国」が波平派を継承しました。
歴代の波平派は多くの業物を作刀してきましたが、
安行は試し切りの名人「山田浅右衛門」が高く評価するほどの
大業物・良業物を作刀しました。