田邊竹雲斎(2代)は大阪出身の日本の竹工芸家です。
初代・田辺竹雲斎の長男として生まれました。
本名は利雄といいます。
幼少時から父について竹芸を学び、5歳の頃、初代・竹雲斎三越個展が開催され、従兄弟の光雲斎と即興製作で亀甲編みを実演し、周囲の人を驚かせました。
15歳の時に初個展を開催し、この時に父に小竹雲斎の号を受け、その後、帝展に初入選し、数々の展覧会に連続で出品します。
2代目を襲名し、それまで中国の影響が強かった日本の竹工芸から、「透かし編み」という独自の技法を生み出し、その技法を確立させました。
晩年は竹雲斎を長男に譲り、一竹斎と号し、太い竹を荒く編んだ「荒編み」を得意とし、数多くの作品を残しました。
1910年 初代・田邊竹雲斎の長男として大阪に生まれる
1930年 「浪華籃友会」に参加
1931年 小竹雲斎と改号
1937年 二代目竹雲斎を襲名
1952年 第8回日展で特選・朝倉賞を受賞
1956年 大阪府芸術賞を受賞
1991年 竹雲斎を長男に譲り、一竹斎と号す
2000年 死去
『長生花籃 天然竹提梁』
『手付広口花籃』
『煤竹耳附掛花籃 魚筌』
『豊年花籃』
『古矢竹花籃』
『煤竹花籃 豊年』
『唐物風廣口花籃』