【平福百穂】掛軸・書画・版画の買取作家・取扱い一覧

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平福百穂

平福百穂
平福百穂(1877~1933)
明治・大正・昭和期の日本画家。歌人でもある。
画家平福穂庵の四男として、秋田県角館(仙北市)に生まれた。
本名は貞蔵。

父、穂庵が14歳の時に亡くなったため翌年より百穂と号し、17歳で上京、川端玉章に師事する。
日本青年絵画共進会では「武尊誅梟師図」で3等褒状を受賞、また日本美術協会展では「義貞義兵図」を出品し、2等となり宮内省買上となる。その後、明30年に東京美術学校に編入学、また明35年には洋画科でデッサンの勉強もする。
大3年には大正博覧会に「七面鳥」を出品し3等を受賞、翌年第9回文展で「朝露」で宮内省買上となる。
その後結城素明らと无声会を創立。自然主義を提唱。
また、結城素明、鏑木清方、松岡映丘らと金鈴社を結成し日本画の発展に貢献した。
大11年には平和記念博覧会審査員、帝展審査員に推挙され昭4年私立帝国美術学校の教授に就任、翌年ローマ美術展に委員として派遣、欧州列国を遊学。昭7年に帝国美術院会員となる。
主に写生画を得意とし、文展などを中心に活躍。東京美術学校の教諭として後進の育成にも尽力。
又、短歌もよくしアララギ派の歌人としても活躍。斉藤茂吉などともよく交友した。

昭8年10月30日55歳で没した。

平福百穂年表

1877年 12月28日父順蔵(穂庵)、母せつの四男として秋田県角館町横町に生まれる。

1890年 角館高等小学校を卒業。父から絵の基礎を学ぶ。父、死去。享年46歳。

1891年 百穂と画号をつける。

1897年 東京美術学校日本画科選科に入学。

1899年 東京美術学校を卒業。

1904年 太平洋画会研究所夜間部に通いデッサンを学ぶ。この頃より本の装丁をする。

1907年 徳富蘇峰の「国民新聞社」に入る。

1908年 桂月、鳥谷部春汀らと十和田を清遊する。

1911年 羽仁もと子の「婦人之友」の表紙画を描き始め、約20年間続ける。

1914年 文展に「七面鳥」出品、三等賞。

1915年 短歌の指導を斎藤茂吉から受ける。

1917年 第11回文展に「豫譲(よじょう)」を出品、特選 名声いよいよ高まる。

1918年 「百穂画集」を刊行。

1919年 東京世田谷三宿(みしゅく)に画室を建て、「白田舎(はくでんしゃ)」と名付け塾生をおく。

1923年 角館に中学校誘致の運動に中心となり奔走する(翌年開校)。

1929年 新設の帝国美術学校(武蔵野美術学校と多摩美術学校の前身)の教授になる。

1930年 秋田蘭画の研究をまとめた「日本洋画の曙光」を刊行。

1932年 東京美術学校教授に任命される。

1933年 脳溢血で倒れ、10月30日死去。享年56歳。

平福百穂代表作

『予譲』

『田舎嫁入』

『アイヌの子供』

『荒磯』

『玉柏之図』

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