【浜口陽三】掛軸・書画・版画の買取作家・取扱い一覧

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浜口陽三

浜口陽三
浜口陽三(1909~2000)
和歌山県出身の昭和~平成時代に活躍した日本の版画家です。
カラーメゾチント技法の開拓者として知られ、この技法はマニエル・ノワール(黒の技法)と呼ばれる写真の技術の発達によって途絶えていたメゾチント技法の一種を浜口陽三が復興し、色版を重ねて刷る技法として発展させたものでした。
また、高度な技術から生まれる繊細で静謐な作風は、他の追随を許さず高い評価を受けているのは浜口陽三のみで、国際的にも知られている版画家です。
モチーフにぶどう、さくらんぼ、くるみなどの小さな果物や貝、蝶などの小さなものを多く取り上げ、空間を広く取った画面構成で小さな対象物を際立たせる手法を多く用いており、刷り上がりの良い順番にシリアルナンバーを振っているのが浜口陽三の特徴です。

ヤマサ醤油株式会社の先々代の社長の三男として生まれた浜口陽三は、家業を継がずに東京美術学校の彫塑科に入学しました。
しかし、中退してフランスへ渡ると油彩、水彩、銅版画など幅広い創作活動を行うようになりました。
第二次世界大戦のため帰国しますが、制作活動は思ったように進まず、戦後になってようやく活動再開となり、本格的に銅版画の制作をはじめるようになります。
再びフランスへ渡り、活動拠点とするとサンパウロ・ビエンナーレ版画国際部門で最優秀賞を受賞したのを皮切りに多くの国際美術展で受賞を重ねていきます。
次にブラジルに滞在しますがすぐにフランスへ戻り、サンフランシスコへ移住し、活動を続けていました。
最終的には亡くなる数年前に日本へ戻り、これまでに制作してきた作品を発表するために個展を開催するなど、最後まで版画家としての活動を続けました。
また、妻・南桂子も版画家として活動をしており、夫婦揃って秀作を残しています。

浜口陽三年表


1909年 和歌山県で生まれる
1914年 千葉県銚子市に移住する
1930年 梅原龍三郎の助言により東京美術学校を中退、フランスへ渡る
1937年 最初の銅版画を制作する
1939年 第2次世界大戦のため帰国する
1953年 再びフランスへ渡る、パリに定住する
1954年 現代日本美術展で受賞する
1955年 この頃からカラーメゾチントを制作をはじめる
1957年 第1回東京国際版画ビエンナーレで東京国立近代美術館賞を受賞する
1961年 リュブリアナ国際版画展で受賞する
1972年 第4回クラコウ国際版画ビエンナーレで受賞する
1981年 パリからサンフランシスコに移住する
1982年 北カリフォルニア版画大賞展でグランプリを受賞する
1984年 サラエボ冬季オリンピック大会でオリンピック記念ポスターに「さくらんぼと青い鉢」が採用される
1988年 「浜口陽三展」が群馬県立近代美術館と世田谷美術館で開催される
1996年 帰国する
2000年 91歳で逝去

1909年 和歌山県で生まれる

1914年 千葉県銚子市に移住する

1930年 梅原龍三郎の助言により東京美術学校を中退、フランスへ渡る

1937年 最初の銅版画を制作する

1939年 第2次世界大戦のため帰国する

1953年 再びフランスへ渡る、パリに定住する

1954年 現代日本美術展で受賞する

1955年 この頃からカラーメゾチントを制作をはじめる

1957年 第1回東京国際版画ビエンナーレで東京国立近代美術館賞を受賞する

1961年 リュブリアナ国際版画展で受賞する

1972年 第4回クラコウ国際版画ビエンナーレで受賞する

1981年 パリからサンフランシスコに移住する

1982年 北カリフォルニア版画大賞展でグランプリを受賞する

1984年 サラエボ冬季オリンピック大会でオリンピック記念ポスターに「さくらんぼと青い鉢」が採用される

1988年 「浜口陽三展」が群馬県立近代美術館と世田谷美術館で開催される

1996年 帰国する

2000年 91歳で逝去


浜口陽三代表作

ジプシー
ジプシー

『西瓜二切』

『西瓜』

『パリの屋根』

『水差しと葡萄とレモン』

『突堤』

『蝶と太陽』

『8つのくるみ』

てんとう虫
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