京都府出身の江戸時代前期~中期に活躍した絵師です。
幕府御用絵師として、御所、東福門院御所、東宮御所、仙洞御所、江戸城、大坂城、二条城などの公の画業に携わった事で知られています。
狩野寿石が多くの作品を描いたという記録は残されていますが幾多の惨事に見舞われ、現存する作品の数は極めて少なく、現存する作品は貴重な資料として保存されています。
江戸幕府表絵師の一つ、浅草猿屋町代地狩野家の狩野信政の長男として生まれた狩野寿石は父・信政が西の丸の御用を勤めた際に同行して京都より下り、徳川家綱にお目見えしてから御用をつとめるようになりました。
ちなみに父・信政は狩野探幽、狩野尚信、狩野安信らの本家筋の者たちと狩野派の地位確立に力を注いだ人物の一人でした。
京都を拠点としながらも江戸城本丸や御所の障壁画制作に参加していた狩野寿石は、徳川綱吉にお目見えすると江戸に住むようになり、3年後に浅草の猿屋町に屋敷を拝領し、この世を去るまでそこで暮らしました。
また、朝鮮への贈呈屏風の制作を行い、徳川家宣から5人扶持を与えられるなど大きな活躍が目立ち、華々しい画歴にふさわしい、数多くの大作を手掛けたそうです。