江戸時代前期に江戸幕府に仕えた御用絵師です。
狩野元信・狩野永徳・狩野探幽とともに四大家の一人とされ高く評価されている絵師で、多くの作品を残した事で知られています。
中でも福禄寿は得意としていたモチーフで、大倉集古館や永青文庫など様々な場所で所蔵されています。
父親は墨絵なら狩野探幽を上回る実力を持っていたとされる狩野尚信で、狩野常信は父親が亡くなると15歳で木挽町狩野家を継ぎました。
その後、狩野探幽に画を学んでいるため、探幽同様古画の学習につとめ、後に『常信縮図』と呼ばれる膨大な古賀鑑定控え、粉本・画稿を残しました。
また、探幽の意図を理解し再現できる画力をもった数少ない絵師として評価されており、探幽ほどの幽遠さは感じられませんが明快で華やかな印象を受ける画面となっています。
しかし、晩年の画風は穏やかで繊細なものへと変化し、以降の狩野派が弱体化し、絵の魅力が失われる原因の一つとなってしまいました。
江戸城や禁裏などの障壁画制作に参加したほか、幕府が朝鮮国王や琉球国中山王に贈った絵を制作するなど活躍を見せる一方で、中院通茂に和歌を学び、幕末に著された『古画備考』や『文翰雑編』に多くの歌が収録されています。