江戸出身の江戸時代後期に活躍した浮世絵師です。
北尾派の祖として活躍し、直接の弟子を育てる以外にも、後世の浮世絵師たちに大きな影響を与えたという事で、浮世絵界にとっても重要な人物と評価されています。
一枚絵よりは版本における活躍が目立ち、手掛けた絵本は60点を超えています。
その中でも勝川春章と合作した絵本『青楼美人合姿鏡』は、実在の花魁をもとに吉原風俗を描いた代表作として良く知られ、他にも洋風画の影響の見られる『写真花鳥図会』などを残しています。
また、プロの文字書きとしても活躍し、俳諧や書道にも通じていました。
戦国大名北畠氏の末裔である北尾重政は、本姓は北畠といいます。
父親は須原屋茂兵衛という大店の版元に長年年季奉公した功により、のれん分けを許され、北尾重政は幼い頃から本に囲まれて育ちました。
そのため、10歳半ばには暦の版下などを描いていたようで、その頃出版された紅摺絵は稚拙で、これくらいなら自分も描けると思い絵師としての道を選びました。
こうして特定の師につくことなく、独学で画技を習得していった北尾重政は、はじめは西川祐信や鳥居清満風の紅摺絵を描き、試行錯誤を重ねていきます。
最終的には浮絵や草双紙の挿絵も多数描くようになり、本好きだったため、版本挿絵の仕事を継続的にこなしていきました。
北尾重政の画号は北尾辰宣に由来し、本姓の北畠に読みが近い事、北尾辰宣が「自分の思いのまま、欲しいままに描く」という意味の「擅画」という語を用いていたため、北尾重政もこうした作画姿勢に共感したからと研究者たちの間で考えられています。
また、北尾重政は碧水、紅翠軒、紅翠斎、一陽井、台嶺、北峰、北鄒田夫、時雨岡逸民、恒酔天、酔放逸人、了巍居士と多数の号を持っており、俳名としては花藍、華藍と称しました。