1733年 生まれる
1740年 金剛寺に小僧として入った
1747年 玩具商尾張屋で仕事をするようになる
1749年 石田幽汀について絵を学ぶ
1759年 覗き絵(浮世絵)の制作をする
1763年 宝鏡寺蓮池院尼公との係わり深くなる
1765年 円満院門主祐常との親交はじまる
1766年 名を「応挙」と改名
1784年 尾張国海部郡明眼院の障壁画を描く
1785年 紀州草堂寺の障壁画を描く
1786年 紀州無量寺の障壁画を描く
1788年 天明の大火に遭い大乗寺に収める予定の「松に孔雀図」を焼失
1789年 大乗寺「龍門鯉魚図」を描く
1790年 禁裏造営に際し一門を率いて障壁画を制作する
1793年 病気がちになる
1794年 金刀比羅宮表書院「瀑布及び山水の間」を描く
1795年 死去
『七難七福図』
『孔雀牡丹図』
『雪松図』
『見立江口の君図』
『四季遊戯図巻』