大正~昭和期の日本画家。
本名は武田震一 のち村上震一。
号は華岳。
1888年7月3日大阪の武田家に生まれる。
父の死に伴い14歳の頃に神戸の村上家の養子となり村上姓となる。
明治34年、画家を志して京都市立美術工芸学校に次いで京都市立絵画専門学校に学び、両校在学中より制作活動を開始。
1908年(明治41)第13回新古美術展にて「木枯」が4等賞、同年第2回文展にて「駿馬と夏草」が3等受賞。11年第5回展褒状授与、16年(大正5)第10回文展で「阿弥陀」が特選を受賞するなど活躍を示す。
18年に官展を離れ土田麦僊、小野竹喬、榊原紫峰らとともに国画創作協会を創立し以降、同会の中心的な画家として出品を続けたが1928年に同会が解散すると一切画壇とは関わりを持たずに独自に製作を続ける。
作品では初期の頃は四季風景や人物像を主題によく制作していたが、1916年ごろよりルネサンス期のキリスト教絵画に影響され、以降、仏画表現の研究に没頭し落ち着いた泥色彩に緻密な筆致を展開し現代宗教絵画の最高峰と称された。
尚、
病弱であった為、作品自体をあまり残していなく小品作がほとんどの割合を占める。
昭和14年10月11日50歳にて死去。
1888年 大阪で生まれる。
1903年 京都市美術工芸学校に入学。
1908年 第二回文展において「驢馬に夏草」が初入選。
1909年 京都市立絵画専門学校入学。
1911年 京都市立絵画専門学校卒業。研究科に進む。
1915年 大正天皇の即位式に際し、京都在住の画家による画帖を献上するメンバーに選ばれる。
1916年 第十回文展において「阿弥陀之図」が特選。
1917年 竹内栖凰、小野竹喬らと国画創作協会結成。
1928年 国展解散。
1935年 帝国無監査に推挙される。
1939年 10月11日、喘息の為、死去。享年50歳。