1849年 生まれる。
1858年 長府に帰郷。
1865年 長府藩報国隊に入り奇兵隊と合流して幕府軍と戦う。
1871年 陸軍少佐に任官。名を希典と改める。
1877年 歩兵第14連隊長心得として西南戦争に参加。この際、軍旗を西郷軍に奪われた。
1886年 川上操六らとともにドイツに留学。
1892年 歩兵第5旅団長を辞任して2月に休職となる。12月に歩兵第1旅団長の就任ため復職。
1894年 歩兵第1旅団長(陸軍少将)として日清戦争に出征。旅順要塞を一日で陥落させた包囲に加わった。
1895年 第2師団長(陸軍中将)に親補され、台湾出兵に参加。
1896年 台湾総督に親補される。母の壽子も台湾に来るが、すぐマラリアに罹患し、病没した。
1898年 台湾総督を辞職。
1899年 11師団の初代師団長に親補される。
1904年 休職中の身であったが日露戦争の開戦にともない、第3軍司令官(大将)に親補されて
旅順攻囲戦を指揮し,また奉天会戦に参加する。
乃木勝典が金州南山で、乃木保典が203高地でそれぞれ戦死する。
1906年 1月、終戦による第3軍の廃止と同時に、軍事参議官に親補される。
以後、死去まで、乃木の本官は軍事参議官。
1907年 学習院院長を兼ね、皇族及び華族子弟の教育に従事。
1911年 7月1日に大英帝国のハイドパークで英国少年軍(ボーイスカウト)を閲兵。
1912年 明治天皇大葬の9月13日夜、妻・静子とともに自刃。享年62。
1916年 裕仁親王(後の昭和天皇)の立太子礼に際して、正二位を追贈される。
『金州城外の作』
『爾霊山』
『凱旋』