【乃木希典】掛軸・書画・版画の買取作家・取扱い一覧

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乃木希典

乃木希典
乃木希典(1849~1912)
長州藩明治期の代表的陸軍軍人の支藩長府藩士の子として江戸の長府藩上屋敷に生まれる。
幼名は無人で、その後、源三と名を改め、頼時とも称した。 さらに後、文蔵、次いで希典と名を改めた。
また、出雲源氏佐々木氏の子孫と称したことから源希典との署名もよく用いた。
号としては、静堂、秀顕、石樵及び石林子を用いた。
「乃木大将」または「乃木将軍」などの呼称で呼ばれることも多い

1858年に長府に帰郷。その後、幕末時には長府藩報国隊として国事に奔走、明治維新後は大日本帝国陸軍に入隊し1871年に少佐に就任、77年には少将として西南戦争に従軍。86年には川上操六らと共にドイツに留学、94年には日清戦争に従軍、95年には中将として台湾征討に参加し翌年台湾総督に就任。
1904年には日露戦争開戦に伴い大将として指揮を執るなど明治初期~後期にかけて陸軍で活躍し東郷平八郎らと共に英雄視される一人。

退官後は1907年より学習院院長として皇族子の教育に尽力、12年明治天皇大葬の晩に妻静子と共に自刃した事は有名で没後の1916年に正二位を追贈。

乃木希典年表

1849年 生まれる。

1858年 長府に帰郷。

1865年 長府藩報国隊に入り奇兵隊と合流して幕府軍と戦う。

1871年 陸軍少佐に任官。名を希典と改める。

1877年 歩兵第14連隊長心得として西南戦争に参加。この際、軍旗を西郷軍に奪われた。

1886年 川上操六らとともにドイツに留学。

1892年 歩兵第5旅団長を辞任して2月に休職となる。12月に歩兵第1旅団長の就任ため復職。

1894年 歩兵第1旅団長(陸軍少将)として日清戦争に出征。旅順要塞を一日で陥落させた包囲に加わった。

1895年 第2師団長(陸軍中将)に親補され、台湾出兵に参加。

1896年 台湾総督に親補される。母の壽子も台湾に来るが、すぐマラリアに罹患し、病没した。

1898年 台湾総督を辞職。

1899年 11師団の初代師団長に親補される。

1904年 休職中の身であったが日露戦争の開戦にともない、第3軍司令官(大将)に親補されて
          旅順攻囲戦を指揮し,また奉天会戦に参加する。
          乃木勝典が金州南山で、乃木保典が203高地でそれぞれ戦死する。

1906年 1月、終戦による第3軍の廃止と同時に、軍事参議官に親補される。
          以後、死去まで、乃木の本官は軍事参議官。

1907年 学習院院長を兼ね、皇族及び華族子弟の教育に従事。

1911年 7月1日に大英帝国ハイドパークで英国少年軍(ボーイスカウト)を閲兵。

1912年 明治天皇大葬の9月13日夜、妻・静子とともに自刃。享年62。

1916年 裕仁親王(後の昭和天皇)の立太子礼に際して、正二位を追贈される。

乃木希典代表作

『金州城外の作』

『爾霊山』

『凱旋』

 

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