江戸時代後期に活躍した絵師で俳人としても有名です。
本名を忠因(ただなお)といい、幼名は善次、通称は栄八といいます。
号には暉真、屠牛、狗禅、鶯村、雨華庵、軽挙道人、庭柏子、溟々居、楓窓などがあり、俳号として白鳧、濤花、杜陵などがあります。
尾形光琳を深く尊敬しており、尾形光琳の百回忌を行うなど、尾形光琳に強く影響を受けた画風はそれまでの琳派の流れと区別するために「江戸琳派」と呼ばれています。
そんな酒井抱一ですが、名門酒井雅楽頭家姫路藩主・酒井忠仰の次男として生まれます。
その家庭環境は複雑でしたが、多趣味であった大名で茶人の兄・忠以の影響で俳諧や能楽、書画、茶、狂歌、浮世絵など様々な文化に触れる機会に恵まれました。
兄の庇護のもと20代まで奔放な生活を送り文化人としての素養を身に着けた酒井抱一は、兄が亡くなると、独自の道を歩むようになりますが、上洛や出家、転居など模索の日々が続きました。
そんな中、かつて酒井家から庇護を受けていた尾形光琳の事を知ると、琳派の雅な画風とこれまでに培ってきた俳味を取り入れた詩情ある洒脱な画風を展開し、独自の画風を築き上げます。
また、狩野派や南蘋派、円山四条派、土佐派など様々な流派を研究し、自らの画風に反映するなど探究心も強く、実に多くの作品を残しています。