江戸時代初期に活躍した琳派の絵師です。
生没年など詳しい事はよく分かっていませんが、俵屋宗達の後継者として活躍したとされています。
宗達が亡くなるまでは宗達の工房を代表する画工の一人だったと考えられており、宗達が亡くなってから工房印「伊年」を継承し、自らの作品に用いていたため、宗達と混同される事も多い絵師です。
画風は宗達風の装飾画を受け継ぐ一方で、狩野派の画法も習得していた様子があり、宗達画を変質させ発展させたと言われています。
加賀藩前田家の御用絵師として活躍した俵屋宗雪は養寿寺の杉戸絵8枚の内4枚を描き、前田利常の四女・富姫が八条宮智忠親王に嫁いだ際、八条殿内に御内儀御殿を造営し、その化粧之間、客之間の襖絵を描くなど大役を任されています。
また、狩野探幽とともに前田利治の江戸屋敷に草花図を描いており、金沢地方では嫁入り道具に「俵屋の草花図屏風」を持参する人が多く、この事からも人気の高さを伺う事ができます。
俵屋宗雪が残した『秋草図屏風』は現在、重要文化財の指定を受けている貴重なものですが、両隻の左右を入れ換えても連続する画面となるように構成されており、当時としてはとても斬新な試みであったとされています。