江戸後期の洋風画家
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秋田藩第8代藩主。7代藩主佐竹義明の嗣子
として江戸に生まれる。
名を義敦、字を大麓、号を曙山、孔雲。
1785年、藩主となり政務のかたわら絵に親しみ狩野派を学ぶが早くから写生をよくした。
1773年領内の鉱山調査に平賀源内を招聘した際源内に藩士小田野直武が西洋画法の啓示を受けたのを知り直武を江戸詰とし源内の下で学ばせ自らも直武に学んで共に和洋折衷の洋風画(秋田蘭画)を創出した。
安永7年、わが国最初の西洋画論『画法綱領』『画図理解』を執筆する。
作品に「松に唐鳥図」など。
なお、28年におよぶ藩主としての治世は藩財政の困窮期で、藩政改革に努め、江戸で没した。