【仙厓禅師(仙厓義梵)】掛軸・書画・版画の買取作家・取扱い一覧

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仙厓禅師(仙厓義梵)

仙厓禅師(仙厓義梵)
仙厓禅師(仙厓義梵)(1750~1837)
江戸時代に活躍した臨済宗古月派の禅僧で、多くの絵画を残した事から画家としての才能も素晴らしいものでした。
法諱を義梵、道号を仙厓といい、号は百堂・阿摩訶和尚・虚白・厓菩薩など多くの号を使用しています。
禅味溢れる絵画で知られ、多くの絵の依頼が寄せられていたそうです。
その作品はとてもユーモア溢れるもので、奔放な生き方をしてきた仙厓禅師ならではの表現力で多くの人々を魅了してきました。
また、社会風刺や皮肉、滑稽を盛り込んだ短歌の狂歌も多く詠んだ事でも知られ、新任の家老が悪政を行ったことに対して「よかろうと思う家老は悪かろう もとの家老がやはりよかろう」と詠んでいます。

美濃国武儀郡高野村(現・武芸川町高野)の貧しい農家に生まれた仙厓禅師は、11歳の時に美濃の清泰寺の空印和尚について得度し、38歳の時には栄西が開いた日本最古の禅寺・聖福寺の住職をつとめました。
権勢にこびず独自の境地で数多くの洒脱、飄逸な作品を描き、俳画的な墨画に傑作を多く残しました。
そのため、多くの人々から依頼を受ける事が多く、一時絶筆宣言をしましたが絵画を描く事は止められず、すぐに再開したそうです。

ちなみに『円相図』という○を一筆書きで書いた作品がありますが、これは悟りの境地を端的に表現する「円」はゼロであり、無である事を意味していますが、仙厓禅師は○を完結させず、余白を用いて心と心が自由に通い合うように表現しています。

仙厓禅師(仙厓義梵)年表


1750年 生まれる
1760年 清泰寺10世空印円虚の許で得度する
1768年 初めて行脚の途につき横浜市南区永田町の東輝庵の月船禅慧に参じる
1787年 月船門下の兄弟子・太室玄昭に西遊(博多・聖福寺)を勧められる
1788年 博多・聖福寺を訪れて聖福寺122世盤谷紹適に相見する
1789年 聖福寺123世住職に就任する
1790年 藩より銀三貫目を拝借して京都の本山・妙心寺で転位垂示式を挙げる
1800年 聖福寺僧堂を再興して衆僧の教育に尽力する
1811年 弟子の湛元等夷を聖福寺124世住職にする
1812年 聖福寺の塔頭・虚白院へ閑栖して絵画においても本領を発揮する
1832年 絶筆の碑を建てて一度は筆を折るが、揮毫の依頼は絶える事なくその後も書き続ける
1836年 聖福寺125世住職に就任する
1837年 逝去

1750年 生まれる

1760年 清泰寺10世空印円虚の許で得度する

1768年 初めて行脚の途につき横浜市南区永田町の東輝庵の月船禅慧に参じる

1787年 月船門下の兄弟子・太室玄昭に西遊(博多・聖福寺)を勧められる

1788年 博多・聖福寺を訪れて聖福寺122世盤谷紹適に相見する

1789年 聖福寺123世住職に就任する

1790年 藩より銀三貫目を拝借して京都の本山・妙心寺で転位垂示式を挙げる

1800年 聖福寺僧堂を再興して衆僧の教育に尽力する

1811年 弟子の湛元等夷を聖福寺124世住職にする

1812年 聖福寺の塔頭・虚白院へ閑栖して絵画においても本領を発揮する

1832年 絶筆の碑を建てて一度は筆を折るが、揮毫の依頼は絶える事なくその後も書き続ける

1836年 聖福寺125世住職に就任する

1837年 逝去


仙厓禅師(仙厓義梵)代表作

不動明王
不動明王

『○△□図』

『指月布袋図』

『豊干・寒山拾得図屏風』

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