安土桃山~江戸時代に活躍した茶人です。
千利休の孫で表千家、裏千家、武者小路千家(三千家)の祖としてされ、祖父である千利休が豊臣秀吉に切腹を命ぜられてこの世を去った事から、生涯誰にも仕官しなかった事で知られています。
一方で、子供たちには、加賀前田家、松平家、寺沢家の各大名に仕官させています。
千利休の後妻の連れ子であった千少庵の息子として生まれた千宗旦は、千利休との直接の血の繋がりがなかったため、10歳の頃に千利休の希望で大徳寺に渇食として預けられました。
その間、春屋宗園のもとで禅の修行を積み、得度した千宗旦は千利休が切腹を命ぜられ、父親の少庵が家督を継ぐと少庵の希望で還俗し、弟子らとともに利休流の侘び茶の普及につとめました。
父親が亡くなると3代目として家督を継ぎ、千利休の侘び茶を徹底させ、究極の茶室とされる一畳半座敷を作りました。
その姿勢は乞食修行を行っているように清貧であるという意味から、「乞食宗旦」と呼ばれていましたが、大徳寺の長老や柳生但馬守宗矩らの引立てもあり名を上げていきました。
そんな千宗旦の門弟の中には藤村庸軒、杉木普斎、山田宗徧、久須美疎安がおり、宗旦四天王と呼ばれていました。