江戸後期
の南画家。
名は親亮、字は明卿。
卯年生まれに因み、通称を卯年吉(うねきち)。
梅逸は号、ほかに玉禅居士、梅華主人
など。
名古屋の彫刻師山本有右衛門の子として生まれる。
はじめ山田宮常、張月樵らに絵を学び、豪商神谷天遊の屁護を受けて同家所蔵の古画の模写をしながら
研鑽をつむ。
21歳で同門
の中林竹洞と共に上京、京都
を本拠
として各地
を遊歴
、画名を高めた。
1854年名古屋に帰り、藩の御絵師
格となって士分
に取り立てられた。
「花鳥図屏風
」(出光美術館蔵)のように、高度
な技術
を奔放
に駆使
した花鳥画に特色を発揮
した。
また横笛
を得意とし、煎茶道にも通じていた。