作家:上村松篁 作品:『菊』
上品で匂い立つような花鳥画に魅せられてしまいますね。
弊社いわの美術では、現代花鳥画の第一人者である上村松篁の日本画のお買取り致しております。
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上村松篁は1902年に京都で美人画の大家である上村松園の一人息子として生まれます。
父はおらずシングルマザーの家庭で育った松篁の幼少期に母・松園との関わりは薄く、二階の自室に籠り創作活動に打ち込む生活を送っていたため松篁は母を「二階のお母さん」と呼んだようです。
制作に没頭する母の代わりに松篁の遊び相手となったのが鳥や草花でした。この時に鳥に深い興味を持つようになったようです。松篁はこのときから絵を描き始め終生花鳥画にこだわることとなりますが、反対に美人画をほとんど描かなかったのは母の影響だと認めています。
1921年19歳のときに京都市立絵画専門学校に入学と同時に西山翠嶂に師事。
この頃から花鳥画を主題とした制作を本格化させ同年『庭閑迎秋』で帝展初入選、1928年26歳で第九回帝展で特選を獲得した後は官展を中心に活躍するなどその才能は高く評価されました。
しかし、第二次世界大戦後の1937年に日展で審査員を務めたことがきっかけで日展を脱退することとなります。
欧米現代芸術に影響を受け始めていた松篁は日展での審査価値観が新味のない時代遅れな価値観なことに絶望し、新たな日本画の表現を模索し始め奥村厚一、秋野不矩、福田豊四郎、吉岡堅二、山本丘人らとともに創造美術協会(現・創画会)を結成し熱心な活動を繰り広げていました。こうして松篁は伝統を守りながらも実験的な構図や近代的な花鳥画に試み、自らの理想とする美を追い求めてゆきました。
松篁は伝統的な円山四条派の流れを汲んでいましたが、円山派の描いた絵を見た際に「十分、生きた鳥になりきっていない」とその写生の甘さに苦言を呈しています。
特に鳥へのこだわりが強かった松篁は、その熱意から鳥の生態を理解するためにアトリエの敷地内に禽舎を設け1000羽以上の鳥を飼育したり、時には鳥の写生旅行としてオーストラリアやインドなどにも渡ったほどでした。
1958年、第22回展出品した『星五位』により翌年芸術選奨文部大臣賞を受賞。
1960年『熱帯睡蓮』や1964年春季展『ハイビスカスとカーデナル』など写生旅行での熱帯地域の色鮮やかな明るい花鳥画を発表しました。
その後も絶え間なく活躍を続け1984年に母・松園と同じく文化勲章を2代に渡って受賞。
名実ともに日本画界を代表する画家の一人となりました。2001年に惜しまれながらもこの世を去りますが、松篁の息子である上村淳之も父と同じく花鳥画の日本画家として活躍しています。
『金魚』 『星五位』 『万葉の春』 『樹下幽禽』 『閑鷺』
京都画壇で活躍し多くの花鳥画作品を残した上村松篁の日本画には掛軸以外にも版画、リトグラフ、シルクスクリーンなども存在します。
価値が高いモチーフは松篁が生前こだわりをもって描き続けた花鳥画です。作品を収める共箱(または額)、作品の裏面などに作家名・作品名などの詳細の記された共シールがございましたら作品と同様、大事に保管されることをおすすめ致します。この共箱・共シールの有無は査定に大きく響くことが多いです。
上村松篁の作品をお持ちでご売却を検討中の方がいらっしゃいましたら、いわの美術までご連絡ください。下記お問い合わせフォームからお写真などの詳細を添付の上ご連絡いただければ専門の査定員が簡易査定致します。