【蓮田修吾郎】文化勲章受章者の買取作家・取扱い一覧

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蓮田修吾郎

蓮田修吾郎
蓮田修吾郎(1915~2010)
石川県出身の昭和~平成時代に活躍した日本の鋳金家、工芸家です。
青銅や白銅によるレリーフなど建築空間を飾る手法を開発するなど、金工の近代化に尽くした事で知られています。
「金属造型」という新分野を開拓し、「建築と接点をもった造型」「公共のための造型」を理念として活動を続け、いつでも誰でも見ることのできるモニュメントを全国各地で手掛けています。
 
幼い頃から絵を描く事が好きだった蓮田修吾郎は、石川県立工業学校図案絵画科を経て、東京美術学校工芸科鋳金部に入学しました。
在学中は仲間とともに工芸新人社を設立して活躍し、卒業後は更に彫金の技術を磨くため、高村豊周に師事しました。
高村豊周は工芸団体「无型(むけい)」を組織して新工芸運動に尽力した人物で、伝統的な技法を駆使した簡潔・清新な造形で鋳金界に新しい作風を築き上げた事で知られています。
そんな師の影響を受けた蓮田修吾郎ですが戦争によって出兵となった事で、作家として目立った活動を行う事はできませんでしたが、その技量を買われ満州の中央銀行造幣廠彫刻課に勤務していました。
 
戦後になるとようやく作家として活動をする事ができるようになり、日展を中心に活躍します。
一方で器の本来の在り方である使う事を無視した純粋美の探求と創造を主張する美術団体・日本現代工芸美術協会をはじめ創作工芸協会や工芸・円心などの新しい工芸団体の設立に関わりました。
また、戦後の作品は『方壺』に代表される立体造型の追求と浮彫による壁面装飾的な心象風景シリーズといった作風も見られました。
さらに彫刻的、絵画的な要素を消化した金属造型の在り方が模索、構想され、やがて工芸と建築、公共空間との接点が加味された金属による環境造型の制作活動も行っていました。
 
こうして金属造型作家展を軸とした日本とドイツの交流の実践と拡大にも力を注ぎ、その功績を称えてドイツ連邦共和国功労勲章1等功労十字章を受章されるなど、世界的にもその名が知られる存在として活躍を見せました。

蓮田修吾郎年表


1915年 石川県で生まれる
1949年 日展で初入選となる
1951年 日展で特選・白寿賞を受賞する
1953年 日展で北斗賞を受賞する
1959年 『野牛とニンフ』で日展文部大臣賞を受賞する
1961年 日本現代工芸美術家協会の設立に参画する
1962年 『森の鼓動』で日本芸術院賞を受賞する
1975年 東京芸術大学教授となる
1976年 日本金属造形研究所を設立する
1981年 北海道のノサップ岬に『四島のかけ橋』を制作する
1982年 ドイツ連邦共和国功労勲章1等功労十字章を受章する
1987年 文化功労者に選出される
1991年 文化勲章を受章する
1996年 日展顧問となる
2010年 敗血症のため、逝去

1915年 石川県で生まれる

1949年 日展で初入選となる

1951年 日展で特選・白寿賞を受賞する

1953年 日展で北斗賞を受賞する

1959年 『野牛とニンフ』で日展文部大臣賞を受賞する

1961年 日本現代工芸美術家協会の設立に参画する

1962年 『森の鼓動』で日本芸術院賞を受賞する

1975年 東京芸術大学教授となる

1976年 日本金属造形研究所を設立する

1981年 北海道のノサップ岬に『四島のかけ橋』を制作する

1982年 ドイツ連邦共和国功労勲章1等功労十字章を受章する

1987年 文化功労者に選出される

1991年 文化勲章を受章する

1996年 日展顧問となる

2010年 敗血症のため、逝去


蓮田修吾郎代表作


『朱銅壺 遙か』
『ルルド雲仙』
『ある都市空間へ』
『ある都市空間のために』
『白銅浮彫「聖歌の碑」』
『白銅浮彫「豊穣なるライン」』

『朱銅壺 遙か』

『ルルド雲仙』

『ある都市空間へ』

『ある都市空間のために』

『白銅浮彫「聖歌の碑」』

『白銅浮彫「豊穣なるライン」』


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