【富本憲吉】文化勲章受章者の買取作家・取扱い一覧

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買取品目一覧

富本憲吉

富本憲吉
富本憲吉(1886~1963)
奈良県出身の大正~昭和時代に活躍した日本の陶芸家です。
重要無形文化財「色絵磁器」の保持者として知られ、この認定は重要無形文化財が制定されて初めての認定でもあり、陶芸界では二人目の受章となる文化勲章を受章しています。
生涯で制作した作品の数は数えきれないほどで、日本中の窯場を渡り歩いた事からその作域も広く、住んでいた場所によって作風が違うのが大きな特徴で、奈良での作陶時代を「大和時代」、東京での作陶時代を「東京時代」、京都での作陶時代を「京都時代」と呼び分けがされています。
その中でも代表的なものは豊かな色彩が印象的な色絵磁器に金と銀を焼きつけた金銀彩の作品は高く評価されており、重要無形文化財の認定に大きく関係しています。
また、日常の器に強い関心を抱いていた事でも知られ、日本各地の窯場で作られた既製の素地に独自の文様を描き、生活に結びついた陶磁器の制作を積極的に行っていました。
 
奈良県の大地主の家に生まれた富本憲吉は幼い頃から何不自由なく育ち、祖父の友人の日本画家・嘯園に師事して南画を学んでいました。
中学校入学時、大寺大仏殿回廊で開かれた日本美術院主催展覧会で法隆寺壁画の模写が入選を果たすなど、画家としての才能を開花させつつあった富本憲吉ですが、東京美術学校では建築と室内装飾を専攻しており、ウィリアム・モリスの工芸思想に影響され卒業前にロンドンへ私費留学をしました。
ロンドンではヴィクトリア&アルバート美術館に毎日のように通い、アーツ・アンド・クラフツの作品に触れたり、建築家・新家孝正と出会い、写真助手をつとめるなど陶芸の世界とは縁遠い生活を送っていました。
留学してから一度も日本に戻らなかった富本憲吉は実家から帰国命令が出され、帰国後は建築最大手清水組(現・清水建設)に入社しますが、長くは続きませんでした。
 
そんな中、来日していたバーナード・リーチと出会い交流を深めると陶芸を学ぶようになり、実家の裏庭に簡単な窯を作り、趣味の範疇で楽焼の焼成を行うようになり、それは徐々に陶芸家として信楽、瀬戸など各地の窯場や朝鮮半島に足を運び、独学で多くの技術を身につけていきました。
作陶では「模様から模様をつくらず」という信念を抱き、写生に基づく数々の優れた文様を生み出し、土焼・白磁・染付など様々な作品として世の中に送り出しました。
独学で陶芸を極めた富本憲吉は東京美術学校教授、京都市立美術大学教授・学長として後進の指導にもあたっており、日本の陶芸界に現在でも大きな影響を与え続けています。

富本憲吉年表


1886年 奈良県で生まれる
1904年 東京美術学校図案科に入学し、2学年から建築及び室内装飾を専攻する
日本画を川端玉章、洋画を岡田三郎助に学ぶ
1908年 英国に私費留学する
1909年 東京美術学校を卒業する
ロンドン市会立セントラル・スクール、オブ、アーツのステンドグラス科に入学する
1910年 建築家・新家孝正の助手として世界を巡歴する
1911年 帰国し、バーナード・リーチと親交を結ぶ
1912年 清水組に入社する
住宅建築の透視図が建築協会主催のコンクールで受賞となる
1913年 安堵村の自宅の庭に楽焼の窯を築き、制作をはじめる
1914年 日本画家・尾竹越堂の娘一枝と結婚する
1915年 村はずれに本窯と住居工房を建てる
木版画集「富本憲吉模様集」を刊行する
1926年 東京都世田谷区祖師谷に転居する
1927年 「富本憲吉模様集」を刊行する
第6回国画創作協会に特別出品する
国画会会員となり工芸部設立に尽力する
1931年 日本版画協会会員となる
イギリスにてバーナード・リーチと合同展を開催する
「模様寸感」を自刷刊行する
1933年 大和時代の作品集「富本憲吉」作品集を刊行する
1935年 東京上野松坂屋の陶匠大家作品展に出品する
帝国美術院会員に推挙される
1937年 帝国芸術院官制が制定され、芸術院会員に任命される
第1回新文展審査員となる
1940年 紀元2600年奉祝美術展覧会委員となる
「制陶除録」を刊行する
1944年 東京美術学校教授に就任する
1946年 国画会創立20周年記念として「富本憲吉20年史室」が同会に設置される
1947年 新匠美術工芸会を結成し代表者となる
1949年 京都市立美術専門学校の客員教授に就任する
京都市上京区新烏丸頭町に転居する
1949年 京都市立美術大学教授に就任する
「富本憲吉陶印譜」を刊行する
1954年 東京高島屋にて、リーチ・浜田庄司・河井寛次郎と4人展を開催する
1955年 第1回重要無形文化財「色絵磁器」保持者に認定される
1957年 「富本憲吉模様選集」を刊行する
1961年 文化勲章を受章する
1962年 プラハ第3回国際陶芸展で銀賞を受賞する
朝日新聞社より「自選富本憲吉作品集」を刊行する
1963年 京都市立美術大学学長に就任する
6月に逝去し、従三位、勲二等旭日重光章が追贈される

1886年 奈良県で生まれる

1904年 東京美術学校図案科に入学し、2学年から建築及び室内装飾を専攻する

00000年日本画を川端玉章、洋画を岡田三郎助に学ぶ

1908年 英国に私費留学する

1909年 東京美術学校を卒業する

00000年ロンドン市会立セントラル・スクール、オブ、アーツのステンドグラス科に入学する

1910年 建築家・新家孝正の助手として世界を巡歴する

1911年 帰国し、バーナード・リーチと親交を結ぶ

1912年 清水組に入社する

00000年住宅建築の透視図が建築協会主催のコンクールで受賞となる

1913年 安堵村の自宅の庭に楽焼の窯を築き、制作をはじめる

1914年 日本画家・尾竹越堂の娘一枝と結婚する

1915年 村はずれに本窯と住居工房を建てる

00000年木版画集「富本憲吉模様集」を刊行する

1926年 東京都世田谷区祖師谷に転居する

1927年 「富本憲吉模様集」を刊行する

00000年第6回国画創作協会に特別出品する

00000年国画会会員となり工芸部設立に尽力する

1931年 日本版画協会会員となる

00000年イギリスにてバーナード・リーチと合同展を開催する

00000年「模様寸感」を自刷刊行する

1933年 大和時代の作品集「富本憲吉」作品集を刊行する

1935年 東京上野松坂屋の陶匠大家作品展に出品する

00000年帝国美術院会員に推挙される

1937年 帝国芸術院官制が制定され、芸術院会員に任命される

00000年第1回新文展審査員となる

1940年 紀元2600年奉祝美術展覧会委員となる

00000年「制陶除録」を刊行する

1944年 東京美術学校教授に就任する

1946年 国画会創立20周年記念として「富本憲吉20年史室」が同会に設置される

1947年 新匠美術工芸会を結成し代表者となる

1949年 京都市立美術専門学校の客員教授に就任する

00000年京都市上京区新烏丸頭町に転居する

1949年 京都市立美術大学教授に就任する

00000年「富本憲吉陶印譜」を刊行する

1954年 東京高島屋にて、リーチ・浜田庄司・河井寛次郎と4人展を開催する

1955年 第1回重要無形文化財「色絵磁器」保持者に認定される

1957年 「富本憲吉模様選集」を刊行する

1961年 文化勲章を受章する

1962年 プラハ第3回国際陶芸展で銀賞を受賞する

00000年朝日新聞社より「自選富本憲吉作品集」を刊行する

1963年 京都市立美術大学学長に就任する

00000年6月に逝去し、従三位、勲二等旭日重光章が追贈される


富本憲吉代表作

『鉄描銅彩柘榴模様大皿』

『色絵四弁花更紗模様 六角飾筥』

『色絵柳模様角鉢』

『色絵五弁花模様旅行用急須』

『大和川急雨』

『色絵磁器金銀彩花字羊歯文大皿』

『色絵風花雪月字角皿』

『色絵金銀彩羊歯模様八角飾箱』

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