【小野竹喬】文化勲章受章者の買取作家・取扱い一覧

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小野竹喬

小野竹喬
小野竹喬(1889~1979)
岡山県出身の大正~昭和時代に活躍した日本画家です。
四季の移り変わりや朝から夕方への微妙な変化から見出した日本の自然の美しさを描き続けた作品は今も高く評価されており、京都で設立された国画創作協会のメンバーの一人として、日本画の新しい表現を模索したことで知られています。
また、西洋近代絵画の写実表現を取り入れた作品から東洋の南画、同時代に活躍した画家の作品から学んだ作品など生涯に渡り画風を変化させていった画家でもあります。
そこにはいかに自然の真実を掴む事ができるかという問題に取り組む小野竹喬の日本画に対する姿勢が見られ、戦後の日本画壇でも重鎮として活躍しました。
 
京都の日本画家・竹内栖鳳に師事した小野竹喬はこの時に竹内栖鳳から「竹橋」の号を授かり、後に「竹喬」に改号しています。
竹内栖鳳は日本画家でありながら、西洋近代絵画の写実表現を取り入れた画風で知られており、小野竹喬もはじめは竹内栖鳳に影響を受けた作品を展開していました。
京都市立絵画専門学校が設立されると別科に入学し、学んでいます。
その後、土田麦僊、村上華岳、入江波光、榊原紫峰らと国画創作協会を設立し、その中でもリーダー的な役割を担っていた小野竹喬は、日本画材で写実を追求する事に力を注ぎます。
日本国内だけでは限界を感じた小野竹喬はヨーロッパへ渡り、数多くのスケッチを通じて、東洋絵画における線の表現を再認識し、それをいかした作風を築きあげていきました。
この事は日本画の発展に大きく貢献しており、京都市美術専門学校教授としも活躍しました。
 
また、教鞭をとるかたわら、文展、帝展、日展などに出品、入選・入賞を繰り返すなど地位を高めており、晩年の代表作「奥の細道」の連作でその地位を確固たるものにしました。

小野竹喬年表


1889年 岡山県で生まれる
1903年 京都の日本画家 竹内栖鳳に師事し、栖鳳より「竹橋」の号を授かる
1909年 京都市立絵画専門学校別科に入学する
1916年 第10回文展で特選となる
1918年 土田麦僊、榊原紫峰らと国画創作協会を結成する
1921年 土田麦僊らと渡欧する
1922年 帰国する
1923年 号を「竹喬」と改める
1928年 国画創作協会が解散となる
1929年 帝国美術院推薦となる
1936年 新文展審査員に任命される
1947年 京都市美術専門学校教授となる
1950年 京都市立美術大学教授となる
1958年 社団法人日展の発足にあたり、常務理事に就任する
1966年 笠岡市名誉市民となる
1968年 文化功労者となる
1976年 文化勲章を受章する
1979年 89歳で逝去

1889年 岡山県で生まれる

1903年 京都の日本画家 竹内栖鳳に師事し、栖鳳より「竹橋」の号を授かる

1909年 京都市立絵画専門学校別科に入学する

1916年 第10回文展で特選となる

1918年 土田麦僊、榊原紫峰らと国画創作協会を結成する

1921年 土田麦僊らと渡欧する

1922年 帰国する

1923年 号を「竹喬」と改める

1928年 国画創作協会が解散となる

1929年 帝国美術院推薦となる

1936年 新文展審査員に任命される

1947年 京都市美術専門学校教授となる

1950年 京都市立美術大学教授となる

1958年 社団法人日展の発足にあたり、常務理事に就任する

1966年 笠岡市名誉市民となる

1968年 文化功労者となる

1976年 文化勲章を受章する

1979年 89歳で逝去


小野竹喬代表作

春渓舟遊図
春渓舟遊図

『郷土風景』

『夏の五箇山』

『波濤』

『溪竹新霽』

『奥の細道句抄絵』

春嵐
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