北海道出身の日本画家で文化勲章を受章しており、日本芸術院会員として活躍した事で知られています。
また、三男である岩橋崇至は、国際的な山岳写真家として知られています。
屯田兵の二代目として、岩橋浅次と妻・きくの長男として生まれた岩橋英遠は、本名を英遠(ひでとお)といいます。
北辰尋常高等小学校を卒業すると農業を手伝いながら独学で絵を描くようになり、画家を志して21歳の時に上京します。
まず、山内多門の画塾に入り、山内多門が亡くなると、川端龍子が立ち上げた青龍社などに出品を重ねます。
また、安田靫彦の画塾「火曜会」に入り、院展同人として活躍を見せるようになり、数々の賞を受賞するようになります。
洋画の手法を取り入れた岩橋英遠の画風は独自の自然観照による写実的でありながら幻想的でもある「印象のある世界観」を持っており、これらは生まれ育った北海道の雄大な自然を間近で見てきた岩橋英遠だからこそ描き出せるのです。
法隆寺金堂壁画の模写にも参加しており、日本美術院常務理事・評議員、東京藝術大学名誉教授などをつとめ、芸術選奨文部大臣賞、日本芸術院賞を受賞するなど、亡くなるまで日本画壇の重鎮として活躍を続けました。
1903年 北海道で生まれる
1924年 日本画家を志して上京し、山内多門に師事する
1932年 青龍社に出品する
1934年 新日本画研究会結成に参加する
院展で初入選する
1936年 帝展で初入選する
1937年 歴程美術協会結成に参加する
安田靫彦門下の研究会「火曜会」に入会する
1949年 院展で奨励賞・白寿賞を受賞する
1950年 院展で大観賞を受賞する
1951年 院展で再び大観賞を受賞する
1953年 日本美術院同人となる
芸術選奨文部大臣賞を受賞する
1954年 前年の院展出品作「庭石」で芸術選奨文部大臣賞を受賞する
1958年 東京藝術大学講師となる
1959年 院展で文部大臣賞を受賞する
1960年 日本橋三越で初個展を開催する
1965年 東京藝術大学助教授となる
1967年 法隆寺金堂壁画模写に参加する
1968年 東京藝術大学教授となる
1972年 前年の院展出品作「鳴門」日本芸術院賞を受賞する
1979年 第20回毎日芸術賞を受賞する
勲四等旭日小綬章を受章する
1981年 日本芸術院会員となる
1986年 東京芸術大学名誉教授。
1989年 文化功労者となる
1990年 渋谷Bunkamuraザ・ミュージアムで回顧展を開催する
1993年 日本橋三越 画業70年・岩橋英遠展を開催する
北海道立近代美術館 岩橋英遠と片岡球子展を開催する
1994年 文化勲章を受章する
1999年 7月12日逝去
1903年 北海道で生まれる
1924年 日本画家を志して上京し、山内多門に師事する
1932年 青龍社に出品する
1934年 新日本画研究会結成に参加する
00000年院展で初入選する
1936年 帝展で初入選する
1937年 歴程美術協会結成に参加する
00000年安田靫彦門下の研究会「火曜会」に入会する
1949年 院展で奨励賞・白寿賞を受賞する
1950年 院展で大観賞を受賞する
1951年 院展で再び大観賞を受賞する
1953年 日本美術院同人となる
00000年芸術選奨文部大臣賞を受賞する
1954年 前年の院展出品作「庭石」で芸術選奨文部大臣賞を受賞する
1958年 東京藝術大学講師となる
1959年 院展で文部大臣賞を受賞する
1960年 日本橋三越で初個展を開催する
1965年 東京藝術大学助教授となる
1967年 法隆寺金堂壁画模写に参加する
1968年 東京藝術大学教授となる
1972年 前年の院展出品作「鳴門」日本芸術院賞を受賞する
1979年 第20回毎日芸術賞を受賞する
00000年勲四等旭日小綬章を受章する
1981年 日本芸術院会員となる
1986年 東京芸術大学名誉教授。
1989年 文化功労者となる
1990年 渋谷Bunkamuraザ・ミュージアムで回顧展を開催する
1993年 日本橋三越 画業70年・岩橋英遠展を開催する
00000年北海道立近代美術館 岩橋英遠と片岡球子展を開催する
1994年 文化勲章を受章する
1999年 7月12日逝去